十一月十八日、日が昇ってすぐ一人の用人が、東山の坂を上り高台寺月心院の門を叩いた。 届けられた信書は伊東甲子太郎にあてられた物だった。 日当たりの良い縁側に向かった文机に座りそれを広げて読んだ伊東は、しばらくすると信書を巻き直して横に置いた。 そして、傍らにあった書きかけの書面を取って文机に広げた。 「書き上げて、これを持参した方が良さそうですね」 伊東が筆を滑らせ始めたその書面は、朝廷へ提出するための建白書だった。 「藤堂くん」 「はい」 伊東に呼ばれ、伊東の書斎で藤堂は向き合って座っていた。 「実は近藤局長から、お招きがあったんですよ」 「……え? 伊東先生、なんの招待が」 「国策について相談があると。私の考えがやはりこれからの新選組にとって必要なのだと」 伊東の言葉は弾んでいた。 戸惑ったような藤堂の目の前に一通の書状が差し出された。 「拝見します」 読んでみれば確かに、伊東に宛てたその信書は、近藤の筆によるものだった。 軽く目礼してから、信書を巻き直す藤堂に向かい伊東は目を輝かすように言った。 「時世も変わった。大政奉還が成され、これからは帝が直接政治を執ることになるのですよ。近藤局長もやっと尊皇の道を分かってくださったのかもしれません」 「なら……」 「ええ、もう一度新選組とやり直せるかも知れない」 藤堂の目が丸く見開かれた。 新選組が尊王として、また一緒の道を歩むことができるのかもしれない。 それは、藤堂にとっては何よりも望んでいたことだったのだ。 参謀として招かれ道場を畳んで京へと上った伊東にとっても、またこのように異なった道を渡ることになったのは本意では無かったのだろう。 「俺を護衛にお連れください」 「近藤局長が私に国策を請いたいというのに、それを疑ってどうするんです? これは、私たちの関係を戻す良い機会だと思いませんか」 「けれど、万一ということもあります」 「おや、藤堂くんまで阿部くんのようなことを言うんですね」 阿部十郎は良く、近藤の奸計に嵌ることないようにと口をすっぱくさせて言っていたが、伊東は心配症だといつも軽くいなしていた。 その阿部も今日は朝から内海と二人、鉄砲の修練を兼ねてのんびりと鳥撃ちに遠出していた。 「謀計を恐れて厳重な警備で行くなど礼儀に欠けます。そんな卑怯な真似をしたらそもそも近藤局長に会わせる顔がないでしょう?」 扇子で口元を隠しながらふふと伊東は笑った。 その屈託ない笑顔に小さな希望が見えたような気がして藤堂も表情を緩めた。 「あの……先生せめて誰か共を」 「いいえ、あなたたちは今日エゲレス語の稽古があるでしょう」 月心院に居た篠原や服部も、危険だと言ったのだが結局伊東は一人で出かけると決めてしまった。 「彼らを説得できるよう頑張ってきます。万一、私に何かあったときには、衛士の力を合わせ国の為に尽くしてください」 そう言って藤堂達が見送るなか伊東は笑って駕篭に乗った。 すぐに駕篭かきの威勢のいい声も坂の下に消えていった。 「まぁよもや新選組も、伊東先生に危害を加えたりはしないだろう」 その時は、篠原たちもそう思っていたのだ。 会合は、七条醒ヶ井にあった近藤の仮宅で行われた。 書き終えた建白書を近藤に見せながら、伊東は近藤にこれからの日本のあるべき姿を説いた。 主な内容としては、身分を廃し国民全てからなる兵制を敷くこと。 列強に並ぶべく海軍の増強を図ること。衆議を以て国勢を図ることといった内容に加え、長州藩への赦免の理由なども弁舌した。 理論整然と語られる説得力のある高説には、近藤もなるほどと頷いていた。 夜も更け、酒も進んで伊東も近藤も、臨席していた土方もいい具合に酔った顔になっていた。 双方の理解を交わして会合はお開きになった。 一見そのように見えたのだ。 (戻ったらすぐ、藤堂くんに今日の近藤さんのことを話してあげないとですね) 彼ならばきっと喜ぶのだろうと、伊東は脳裏にその様を思い描いてみた。 酒にはそこそこ強い方であったが、浮かれて飲み過ぎたのか多少足に来ていた。 見上げれば十五夜よりやや細った月が、雲に半分隠されていてなんとも風流だった。 謡曲など口ずさみながら、七条通りから油小路の小径を入った。 途端、伊東は妙な気配に襲われた。 「え……まさか」 伊東には思いも寄らぬことだった。 目の前にいた数人の黒い影の中に幾人かの顔の中に知った顔があった。 「……謀られた」 キン、と鯉口を切る音が路地に響いた。 後ずさりながら、腰の刀に手を掛けた伊東の顔が悔しさに歪んだ。 -終- |